古代
川越の目の前は海が広がっていた!
と言われても埼玉県は海なし県なので、埼玉在住の方はピンとこないとおもいます。
ちなみにこの悲しい称号「海なし県」は埼玉県の他にあと 7 県あります。
47 都道府県では圧倒的少数派ですね。
そう考えると、海がある都道府県に住んでる方が圧倒的に多いと思いますので、海なし県在住の民が海を目にしたときの喜びとはしゃぎようはもしかしてあまり共感されないのかもしれませんね。
ちなみに埼玉県川越市は、その埼玉の大体中央(調べたらやや南部)に位置しているので、やはり海とは縁遠い土地です。
しかし、太古の昔は川越の目の前に太平洋が広がっていました。
この海が広がっていたことが、どうやら原始から川越に人の営みが形成された理由の一つのようです。
今より気候も温暖で豊かな自然に囲まれていた縄文時代前記(約 6000 年前の)のものとされる貝塚が川越市仙波に仙波貝塚として残されています。
この貝塚の地層の下からは土器や石器や竪穴住居も発掘されており、海の幸以外にも木の実や狩猟で採取した動物などを煮たり焼いたりして食べた炉の跡も発見されています。
農耕を覚える前の太古の人々は、狩猟による食料の確保に困らない土地に居を構えるのが自然な選択だったはずですから、この仙波貝塚が示すところは、川越は古来より、人が集まりやすい風土であり、当時を起点にして、今日まで人が安住できる土地として継続していることは、非常にありがたいことだと感じます。
目の前に広がっていた大海原に思いを馳せれば、今もふと潮の香りが漂うかもしれませんね。
どうです?埼玉県が海なし県でも少し気が紛れませんか?