喜多院
喜多院 慈恵堂
喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院です。
良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られており、建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有しています。
喜多院の広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっており、四季折々の風景が訪れる人々の憩いの場になっています。
鐘楼門(重要文化財)
慈眼堂(重要文化財)
喜多院は、平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号しました。
無量寿寺には北院、中院、南院がありました。
この北院(きたいん)が今の喜多院(きたいん)へ寺号を改めることになります。
寺号を喜多院と改めたのが、徳川家の尊崇が厚かった高名なお坊さんである天海僧正(第27世住職)です。
天海僧正
また、川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たり、慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜りました。
しかし、寛永15年(1638年)の川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失してしまいます。
山門(重要文化財:喜多院に現存する最古の建物)
翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であります。
また、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれたともいわれます。
川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海僧正を助けました。
そして、4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛したとされます。
境内
喜多院はもともと由緒あるお寺でしたが、時の権力者となった、徳川家と結びつきが深い天海僧正さんのが入寺したことで、隆盛しました。
喜多院の隆盛は、川越の江戸文化や交通の発展にも繋がり、今の川越の礎を築いたといっても過言ではないでしょう。
五百羅漢