明星の杉

 
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こんにちは 埼玉県川越市在住 30代 男性 コエドです 「住めば都」といった言葉がありますが、 住み慣れるにつれて、川越の文化、風土に愛着が募る日々です この文化的な街、川越の魅力を微力ながらご紹介したいと思います


今回は、喜多院中興の祖となる尊海(そんかい)僧正にまつわるおはなしです。

喜多院は川越の仙波にある天台宗の寺院で山号は星野山です。

喜多院の歴史は古く、平安初期の天長 7 年(830 年)、敦和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号していました。

無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山としました。

この中院ですが、天海大僧正が喜多院(北院)の住職となるまでは、中院が無量寿寺の中心的な役割を果たしたとされています。

そして、この中院は仙波東照宮建立の際に移動し、現在は喜多院の南にあります。

少しややこしいですが、天海僧正が喜多院の住職になるまでは、喜多院は無量寿院であり、 北院、中院、南院 の三つがあり、この中院が鎌倉時代に天皇の信頼を受けた尊海僧正によって隆盛を極め、後の天海僧正によって喜多院が栄える前進にもなったということでしょうか。

少し前置きが長くなりましたが、喜多院の歴史を語る上で欠かせない高名なお坊さんの尊海僧正。

この尊海僧正によって、喜多院の山号が星野山となったいわれが「明星の杉」のおはなしです。

“昔、尊海僧正が、関東に仏法を広めるために牛車に乗って仙波の地にたどり着きました。しかし、小川に架かる橋のところで牛が立ち止まり、まったく動かなくなってしまいました。尊海はきっとこの場所には何かがあるのだと考え、留まることにしました。

その夜のこと、近くあった池の中から不思議な光がこうこうと輝き、あっという間に空に舞い上がり明星となり、老杉のこずえに止まってキラキラと輝き始めました。それを見た尊海はこの地こそ仏法の霊地に違いないと考えました。尊海がよく調べてみますと、その昔に仙芳仙人や慈覚大師が修業を積んだ場所だったことが分かりました。

そこで、尊海はここにお堂を建て、仏法を広め教える場所としました。そして、喜多院の山号を明星が輝いたことにちなみ、星野山(せいやさん)と呼ぶようになりました。また、明星の輝いた池を「明星の池」、明星が舞い上がり止まった老杉を「明星の杉」といいました”

【参考】 川越大師喜多院 HP 喜多院七不思議と伝承話

写真:明星の杉跡(杉は新しく植えられたもの)

写真:明星の杉にまつわる説明

写真:喜多院不動通り(明星の杉に隣接する明星駐車場から境内に入れる)

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